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2020年上半期のマイベスト。



かっこいい本だ。私が書店員なら、「思想」の棚に置きたい。「アウトドア」棚はサブ扱いにするかな。「狩猟」のイロハを語ったルポかと思ってしまいそうだけれど、そんなありがちな体験記ではないからだ。本書において、著者にとっての「狩猟」とは材料みたいなものなのだな、と捉えて読んだ。


著者は「狩り・屠り・食す」という営みを一つの材料にして、自身の思考を料理する。他に類のない独創的かつ、キレッキレのレシピで読者に供するのは「暴力論」「戦争論」「コミュニケーション論」「経済論」など。しかもその過程、文章そのもので読者を楽しませることをひと時も忘れない。いったいこの本にはどれだけの文体的あそび(技巧)が隠されているんだろう。


では、思考するという調理過程が本書の主軸なのかといえばそうでもない。そこが凄い。もともとは自分やご近所の田畑を獣害から守るために取得した狩猟免許だが、著者は「狩猟」を疎かにしない。全力で身を張っている。一羽の鴨を、一頭の猪を仕止めるまでを書く筆は壮絶で悲しい。リスペクトがある。


鴨は、最後に鳴く。 恬淡としてわれとわが運命を受け入れていた鴨は、最後の刹那、世界に別れを告げるように、ひと鳴きしようとする。 〈死〉を、いまこの瞬間、看取った。〈死〉の重さを、いま、自分の手で抱えている。

頭を使い、山野に分け入り、野生の命と向き合った人にしか得られない一級の材料が「狩猟」だ。一切の妥協がない材料を使って思考している。だから机上の御託とは程遠い。実がある。経験から得た実感しか著者は本書に書いていない。


たとえば、「あいつはパヨクだ!」「ネトウヨだ!」と、日がな、叩き合っている9条をめぐるネット政談。多くの人がその空疎さをなんとなく感じてはいる。茫漠とはしているけれども、なんとなく。しかし著者は、両者の在り様を「自分が前線に出ることはない」と確信したうえで遠い世界から語っているだけの「肉体が伴わない」空論だと指摘し、こう言語化する。


「敵が敵がとわめ」くやからは、煽動するだけで、じっさいの前線には立たない。口舌の徒に、銃も、弾丸も、重過ぎるからだ。


頭でっかちの平和主義者の非戦の声も、軽く、実体がない。平和主義者こそ銃をとれ。重い荷を背負って、やぶの中を、道なき道を鉈で切り開きながら、鴨を探し回ってみたらいい。

「とても重い」という銃を実際にその身に担ぎ、顔を切られながらやぶを進み、その先にいるのが鴨ではなく、もし仮に人間だとしたら? 自分は撃つのか? そんなことを考えたことがある著者だから書けることだ。


私にとっていい本(フィクションは別として)とは、


① 新たな知見を得られる

② 思考が刺激される問題提起がある

③ 文章(文体)が素晴らしい


以上のどれかを満たしてくれるものだけれど、本書からはそのすべてを得ることができる。余韻が醒めない。



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