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ディスタンスが揺らいでいる:人との適正距離を問う『フライデー・ブラック』

2020年4月に初めての緊急事態宣言が発令され、家に篭らざるを得なくなった。それを機に意図的にやったのは「人と距離を取る」ことだった。物理的に人との「密」を避けなくてはならなくなったということもあるけれど、精神的にも人との「密」を避けた。そうすることで、物理的な「密」も自ずと回避された。周囲ではオンラインでの飲み会がブームになっていた。人に会えないから、SNSで人と交流することに対する依存が増す気配を感じた。しかし、私はそういうのはやめようと思った。


ではその期間、何をしていたかというと、考えごとと読書だ。ともに昔から好きなことだ。趣味を問われるといつだって「考えごと」と答えてきた。だって、考えごとって楽しくないですか? 思惑に耽溺すると、定位置でじっとしたまま5時間くらい平気で経っている。気がつけば夜。コスパ最強の趣味だ。人と過ごすことで削られてしまっていた両者に割く時間を取り戻そうとした。集中力が必要な超長編や古典を読み、SNSは担当本の宣伝中心の利用目的に割り切った。あとはあまり見ない。やってみると、自分にとっていいことだと気づいた。ツイッターはもう辞めてもいいと思った。現実には、ツイッターは新刊告知に最高のツールだから、それを手放すことなどできないのだけれど。孤独を味方にできると強いとはよく言われる。実感としてそれは本当だと思う。



さて、『フライデー・ブラック』だ。2篇の短編から成る本書の著者はニューヨーク出身。ガーナからの移民である両親のもとに生まれ、文学に親しんで育ったという。


「図書館前にたむろしていた」というただそれだけで、五人の黒人の若者が警戒され惨殺される事件を書いた「フィンケルスティーン5〈ファイブ〉」という作品ではじまる。

「五人の子どもたちは、図書館の外でたむろしていただけで、生産性のある社会の一員として、図書館の中で読書をしていたわけではない。そのため、ダンが脅威を感じたのもうなずける話である。また、自分の身だけでなく、自分の子どもや図書館から借りたDVDを守るために、フォードF-一五〇のトランクからホーテックPROの十八インチ四十八CCのチェインソーを取り出したのも、自衛の範囲内である」これが裁判所の判決だった。

世界的なBLMの動きとからめて、この本を取り上げた記事を多く目にするし、実際、理解を深めるうえで欠かせない作家なのだろうから、それだけでも一読の価値がある。しかし、それだけではない小説としての面白さがある。


人種というテーマと離れたところで、いまっぽいと私が思ったのは、どの作品も「人とのディスタンス」を書いているところだ。


誕生日パーティーで人を喜ばせようとする行為や、あるいは、人に花やお菓子をあげる行為を前時代的で理解しがたい世界観として描く「旧時代〈ジ・エラ〉」。いじられるより、ガン無視のほうがキツい。いじめられることの孤独をそう書いた「ライト・スピッター――光を吐く者」。飛び降り自殺者に向けられる無数のシャッターを書く「小売業界で生きる秘訣」。


登場人物たちは皆、人とのディスタンスに違和がある。適正な距離が取れない。歪なディスタンスは、孤立を浮き彫りにし、当事者を苦しめる。


死人が出てもお構いなし。われ先に目当ての衣料品をゲットしようとするブラック・フライデーのセールを書いた表題作「フライデー・ブラック」に、こんなくだりがある。

これを着れば、独りぼっちじゃなくなる。みんなに好かれるはず。少女はそう言っていた。

もし、孤独を味方につけることができれば、自分の世界はちょっとだけ生きやすいものに変わるのではないか。そんなことを考えさせられた。


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