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吉村萬壱 著『哲学の蠅』

凄い…。

考えさせらることが尽きないけれども、自分が近年考え続けている「わかる」とは何か? という視点で、文章(思考)を追いかけた。


人はよく「わからない」と言う。「わかりたい」と言う。でも、そもそもそんなに「わかる」ことは大事なのか? 「わかり合う」とか、共感とかいうものが、他者理解こそが「善」として強調されるということが気持ち悪いと、私はずいぶん前から違和感を持ち続けている。それに対し、吉村さんは「わからなさ」に、精神の解放を見出される。

しかしもし「世界は一つ」という陳腐なスローガンが具現化し、人類がただ一つの個体になってしまったとすれば、そこに現れ出る世界は実に単調で冷え切った詰まらないものであるに違いない。

かっこいい。

理解されたいと思いながら、理解されて堪るかという感情が個人のなかには両立する。そのうえ、本質的には結局、他者のことなど誰にもわからない。

書く限りは嘘ではなく「本当のこと」を書きたい。しかし「本当のこと」を書こうとすればするほど、言葉に裏切られることを書き手は覚悟せねばならない。「愛」と書いた途端、それは自分の手から擦り抜け、無数の「愛」の屍が浮く汚れた海に呑み込まれてしまう運命から逃れることができない。

圧倒されませんか。

読者の私はただただ黙るしかなく、作家が孤独を請け負うた先に現れるそういうわかりようがあるはずもない文章に、“読者と言うより頁の上を一匹の蝿となって飛び回” り、“たかってチューチューと汁を吸う”ているのだ、と。わかった気になるより、チューチューでいいんじゃないかと思わされた。

読点一切なし、超長文の1文で綴られる序文「蛆虫」から、異界に引き摺り込まれて、最後まで一気に読んだ。

超絶おすすめ。



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