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生前面識のなかった人が、自分に惚れ込む。その人は10年以上もの時間を費やし、周辺取材と調査を重ねる。そして、自分の人生を600ページ超の評伝にまとめる。



佐藤泰志という作家にはそんなことが起きた。5回も候補に選ばれながら芥川賞を逃し、41歳で自死してしまった不遇の作家。ひと言で言えばそう言えるのかもしれない。でも、この作家と作品の存在が、ひとりの書き手を動かし、本書を生んだ。


著者の中澤雄大さんはもともと全国紙の記者で、当初は休日を使って取材に当たっていたという。しかし、それでは追いつかなくなって会社を辞めてしまう。すごくないですか?


実際、執念の取材ってこんなことなのだろうと思う。中澤さんの文章はめちゃくちゃ読みやすく巧いから、つい見逃してしまいそうになるのだけれども、よく考えてみたら、この2行を書くためにどれくらい歩き回ったり、昔の資料や文献を探し回ったりされたのだろう…。そう思わされる箇所が惜しみなく次々と出てくる。記者というお仕事の凄みを感じると同時に、こんなことは愛がなければ絶対にできないことだと打ちのめされる。編集者である私は、生涯で、こんな風に思い入れることができる書き手を見つけてしまった、中澤さんの運命と幸福が羨ましくもある。


序盤、佐藤泰志の妻・喜美子さんや息子さんたちと中澤さんが、カセットテープを聴く場面がある。親戚に送るメッセージを佐藤一家が吹き込んだものだ。中澤さんはそのとき初めて、焦がれてきた作家の声を聴く。それだけでも胸に迫るものがあるのだけれど、テープの音声は、その日がまさに、24年前の今日であったことを告げる。


「懐かしいね。こんなことを言っていたなんて、すっかり忘れていたわ。『俺のことを、中澤さんに書いてもらえよ』ってウチの人が言っているようだねぇ」 しみじみと喜美子が言った。

この場面がとりわけ印象に残ったのは、大部において、書き手である中澤さんの主体が、邪魔にならない狂言回しに徹しているからだと感じた。つまり、本書は著者がごりごり前に出てくるタイプのルポルタージュではないのだけれど、だから、こうして著者が前に出てくる場面が心を打つ。控えめで、優しい、いい評伝だと思う。文学のためならみっともなく情けなくなることも辞さなかった作家と、その困った人への周辺の人たちと何より著者の愛に満ちている。




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