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雨が降るでもなく、でもどんよりと暗く、元気が出ない日に読みたくなるのは中村文則さん。美容室にいる間に読み切った。




施設で育ち、刑務官になった「僕」は、18歳と半年で二人殺した未決囚を担当している。1週間後に迫る期限に、彼は控訴しないつもりでいる。それは死刑の確定を意味する。

あの人は帰ってくる度に僕と恵子を呼び出し、その日にあった出来事を語らせ、僕には主に映画と本の話を、恵子には絵画と音楽の話をした。 「自分以外の人間が考えたことを味わって、自分でも考えろ」あの人は、僕達によくそう言った。「考えることで、人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる」

施設育ちの「僕」に施設長が語りかけた言葉に線を引いた。同じく施設育ちで、高学年で習う漢字もまともに綴れない未決囚の彼は、もちろん芸術にも文学にも触れたことはない。控訴しても、結局のところは死刑の未来しか残されていない青年にとっても、芸術は等しく開かれ得るのだろうか? 中村さんなりの結論を与えている。


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