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20年以上、近藤康太郎という作家の読者をしてきた。知るきっかけはもちろん新聞だったのだけれど、新聞記者と思ったことはない。作家として読んできた。その人の書くものはどんな小さなものでも読みたくて、著書や新聞記事を読むなぞ基本中の基本だし、雑誌への寄稿については、グーグルなんかでとても拾いきれないから、定期的に大宅壮一文庫や国会図書館でアーカイブに当たってきた。


2012年、いちどだけ手紙を書いた。感想文。当時は仕事につなげたい、なんて欲は1ミリもなかった。発売を待ち侘びて買ったその著書を私は貪るように読んだ。感銘を受けた。そのことをどうしても伝えたかったのだ。


何でもかんでもあわよくば本にしようとしてしまう編集者の邪さがまるで発動しなかったのは、不思議なことだ。ひとつには、自分の「いまの実力」はまだ、この人の文章を扱うに値しないと思っていたからだろう。ご著書を読んだ。感銘を受けた。そのことを伝えられたら、それだけでよかった。


しばらく後、見知らぬ筆跡の封書が届いた。(いまでは、すっかり見慣れた字だ)


「近藤康太郎」



数枚にわたる手紙にはこうあった。


“わたしも評を書くことが多いのですが、人を殺すこともできるし、このように読んでくれる人がいれば、それは人を生かすことにもなるのだなと”


伊皿子坂のマンション、郵便受け前。時が止まった。いまではフレーズはそらで言える。


封書は、祖母からもらったダイヤモンドの指輪と一緒に保管されることになった。仕事で腐りかけるたび、取り出し、ゆっくりと読み返した。同じフレーズで、何度も何度も目を動かした。冗談でも大げさでもない。私がいま、この仕事を続けられているのは、あの一文のおかげだ。


2019年夏、二度めの手紙を書いた。今度は依頼状だった。いましか、ない。そう強く思わされる記事を読んだからだった。依頼状の末文で言い添えた。「じつは初めてではないのです。◯◯を拝読したとき、いちどお手紙を差し上げました」



2023年春、その人とつくった二冊目の本が出た。


この数年、相当数のやり取りを重ねて、本になった。どんなことがあっても、早朝に起き出し、必ず、書く。その姿、自分の文章への向き合い方から、私は何事にもかえがたく多くを教えられた。時に口論にもなったけれど、絶対にこの人にはかなわない。理解できるはずもない。そうしていつも、尊敬してきた。


一冊目『三行で撃つ』の非常によくある感想に、「心が折れた」「書けなくなった」というものがある。その程度のことで、折れるくらいなら、書くのをやめればいい。冷たいがそう思う。それは私が、近藤康太郎というひとのほとんど修業のような毎早朝の鍛錬を知っているからだ。つらいことがあろうと、悩みがどんなに深くても、嘆かない。仕事には持ち込まない。目の前のテクストに向き合え。職業編集者として、育てられた。


『百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術』


本日発売です。春の朝、ずっと敬愛してやまなかった著者の、美しい門出に。

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