312ページ、二段組、3,200円である。高いけど、文字量を鑑みればコスパはいい。しかし、読み通させないオーラがバリバリ出てる。だからある程度責任を持って言いたいと思う。
買って損はなし。
特にラテンアメリカ文学ファンの人は。
むしろ買ってください(中国文学だけれども)。
ぜひとも。
寝不足クソ食らえで一気に読みきった。閻 連科(えん・れんか)の本は初めてだった。流麗かつ簡潔な訳が素晴らしく、のめり込める。明け方、ハイテンションで他の主要作品もただちにAmazonのカートに放り込んだ。どのタイトルも4000円ちかい。が、悔いはない。
白昼夢じみたこの物語の舞台は河南省の貧しい村・丁庄。政府の売血政策により、村人たちは血を売ることで富を得た。しかし、熱病(エイズ)が蔓延する。“木の葉が風でハラリと落ちるように、灯が消えるように”人が死んでいく。村の聡く強欲な者が売血ブローカーとなり、注射針を使い回したせいだ。
売血の血、忌の際の血、切り落とした脚から噴き出す血、真っ赤なカーディガン、乾いた赤い大地。随所で赤色が鮮烈で記憶に残る。ストーリーテラーは村いちばんの売血王の息子である。ほんの子どもだが、熱病を村にもたらした一家の子ゆえ、毒殺され、すでに葬られている。てか、この設定。マジックリアリズム好きならヤラれますよね?
子の父はやり手だ。売血で財を成し、その後は死にゆく者たちに棺桶を融通するビジネスに手を染める。村人から先生と慕われている子の祖父は、熱病患者が集まり暮らすホスピスのような場をつくる。持ち寄りにより運営し、皆の面倒をみようとする。熱病について村人たちに頭を下げるべきではないかと口うるさく進言する祖父と、それを断固拒否する父。売血一族の確執と、彼らを取り巻く村人たちの死にゆく間際の人生が描かれる。
本書の魅力は、乾いた河南省の風景を幻想的に描く筆と、あくせくしても“蟻のように、木の葉のように、灯が消えるようにあの世に逝ってしまう”人間というものの宇宙的な時間のなかでの呆気なさをそれでも美しく煌めかせて読ませる人間賛歌にあるように思う。
死期が迫る馬香林という男は最初で最後、「墜子」を村人に披露することになる。馬香林は新薬が開発されたという祖父の嘘を信じ、気力を漲らせて舞台に立つ。
馬香林の額からは汗が滴り落ちていた。まもなく死を迎えるその顔は赤く輝き、頭を振るたびに、汗が額やあごから飛び散り、真珠のようにきらめいた。手を出して動かし、頭を振り、足は歌に合わせて拍子を取っていた。その拍子を取る足の、舞台の柳の木を打ち鳴らすタンタンという音が、木魚のように絶え間なく舞台の上を流れていた。楊六郎が死ぬような絶頂の場面では、右足を持ち上げ、舞台が太鼓であるかのように踏み鳴らした。 校内は馬香林の歌と演奏で満ちていた。それ以外の音は聞こえなかった。あたりは静寂そのものだった。
歌い手として必ずしも優れたわけでない馬香林の歌が皆を圧倒する。しかし、このくだりの後、新薬開発の嘘を舞台上で知った彼は、呆気なく壇上で事切れる。その描写の美しさ。
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』にはレメディオスという娘が白いシーツを纏って昇天するシーンがある。
小町娘のレメディオスの体がふわりと宙に浮いた。ほとんど視力を失っていたが、ウルスラひとりが落ち着いていて、この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。目まぐるしくはばたくシーツにつつまれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた。彼女はシーツに抱かれて舞いあがり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後の四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追っていけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した。(ガルシア=マルケス/鼓 直 訳『百年の孤独』)
『丁庄の夢』に書かれる村人たちの死は、どれも私にレメディオスが天女のように舞い上がる様を思い出させる。
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